「クラトロちゃんずるいよ。ジャンケンしようよ」
約10年前。内定を出してくれた渋谷にある某インターネット企業の会議室で社長が言った。
私はVIP待遇で迎えられていて、わざわざ灰皿を用意してくれ、パカパカとタバコを吸いながら、学生ながら社長の交渉術の強引さに困惑していた。内定を断りに来たのに「ずるい」ってどういうことだ?
ナンパ用語で言うと彼はグダ崩をしにきていた―
目次
学生時代の豪商にとって楽しかった就活
「就活」勤め人になるためのイベントが年々、重大なものとして扱われている気がする。
約10年前の我々世代から、やれ就活イベントだの、やれ情報交換だの、やれインターンだの、やれ就活失敗で自殺だの、もう就活=人生を決める一大イベントの様相になっている。もちろん私の友人たちの多くも就活=人生を決める一大イベントとして参戦していた。
かくいう私は当時、友人2人と豪商ママゴトというか、ちょっとした金儲けをしていて(この話はいつか機会があれば書きたい)とりあえず就活しておくかという気持ちだった。個人的には就職せず、そのまま起業したいと思っていたけど、友人たちは「就活もやってみて”就職”と”起業”という選択肢を持ってから決断しよう」と言った。
自分1人では、悔しいけど起業する自信がなかったので、私も”とりあえず”就活をしてみる事にした。
大多数の学生が、すごくネガティブな感情をもって就活をするなか、私にとって就活は楽しかった。生粋のカブキニストの私にとって面接は、おあつらえ向きの舞台だった。
1対1よりもグループ面接や複数面接官など観客が多いほうがテンションが上がった。男女問わず声かけて、仲良くなるのも新鮮だった。ちなみに私は、説明会などの大人数の場では常にカワイイ子をチェックしていて、帰り際に狙いすましたように声をかけていた。ちゃっかりロマンスもした。
私は就活でもカブいていた。大学時代の思い出を映画のタイトルにして語れと言われた時は「男はつらいよ~名古屋ナンパ旅編~」とか言いながらナンパの話をしたり、説明会の後に喫煙所でナンパしたJDが私を人事と勘違いしたので人事のフリして彼女と雑談するドッキリをしたり、大学名を言ってはいけないと制約を受けたグループワークをして、グループを代表して100人の前で報告する時に「マサチューセッツ工科大学から来ました…あっ言っちゃった!」とか言いながら100人をドンビキさせたりしていた。
ちなみに私はマサチューセッツ工科大学卒ではない。
仮に勤め人になるならば、起業に近い業種が良いという理由で、世間で言うインターネットベンチャー企業ばかりを受けた。豪商は幼少期に「六本木ヒルズ」とかいう得も知れぬ響きに魅了されたホリエモン世代なのである。
あみだくじとジャンケンで決まった就職先
最終的に私の前職となった、とあるインターネット企業とナンパブログを介して出会った。いつだってナンパが私の人生を変えてきた。
A社と呼ぼう。当時、私が読んでいたナンパブログのナンパ師2人組が起業したとブログに書いていた。ナンパ師からの起業。豪商になることが目標のナンパ大学生が憧れないワケがない。彼らはスーパースターだった。
彼らの立ち上げた企業のホームページを見て、その2人組の(お互い別の)前職を知った。
1つの会社名は知っていたけど、A社は知らなかった。というわけでA社をマイナビで検索してみる。出てきた。新卒を募集している。話は早い。面接を受けに行ってみた。
というわけで、A社はのちに、インターネットでそれなりに有名なナンパ師を2人を排出したことになる。なんてリクルートみたいな会社だろう。
ナンパブログで就職先を見つけた―
1次の人事面接をパスしたら評価が高かったのか、2次面接で社長と現場のトップがいきなり出てきて驚いた。私は素直にナンパブログを読んできたことを社長に伝えた。
こんな感じの雑談ばかりをして社長が現場のトップに「彼おもしろいし賢そうだからいいよね?」と確認して私の内定はあっさり決まった。
経営者の決断はいつでも早い。ナンパをしているとカミングアウトしている時点で、私を女好きと見抜いたのか、社長は教育係(A社では内定~入社までの面倒を見る先輩を内定者に1人つけていた)に小柄でロリ顔の先輩をつけてくれた。ぶっちゃすげータイプだった。
学生ながら社長の交渉術に感心した。
「とりあえず勤め人やるならA社でいいかなー」と思ったタイミングで、同業のB社からも内定を貰った。私にA社、B社、豪商という3つの選択肢があった。でも、私は豪商って人生が1番楽しそうだから豪商になりたいなと思っていた。
少し間が空いて、豪商ママゴト仲間2人と話し合った。彼らは内定先に就職するという決断をした。
1人で豪商になる自信がなかった私は豪商という道が絶たれ、勤め人になることを余儀なくされた。その時に、今でも良い友人である彼らに向かって「今ここで俺と起業しなかったこと後悔するよ」と言った。
負け惜しみじゃなくて、固い決意だった。
勤め人→豪商ルートに切り替えた私は、A社かB社か選択しなければならない。少しでも材料が欲しいと思い、A社とB社に1日会社にいさせて欲しいとお願いした。どちらも快く受け入れてくれて営業についていったりした。
それでもA社かB社か決めかねた。ポジティブな迷いだった。
自分は勤め人になったらきっとうまくやって、豪商になるだろう。だからどっちでもいいやって感じ。
期限を設けて返事を待ってもらっていたが、その期日が近づいた。ナンパした子とロマンスしてたら社長も参加する内定者飲み会に遅刻するとかいう意識の低さを見せつけながら、どうしようかしらと考えていた。
就職先をあみだくじで決めることにした―
決断できないなら「くじ」に委ねよう。自分はA社でもB社でもきっとうまくいく。あみだくじの結果はA社。早速A社の内定承諾書を書き上げた。同日にB社に断りをいれ、その足でA社に内定承諾書を渡しに行くために両者にアポを取った。
B社への断りは電話でも良かったけれど、少なからずお世話になったし、自分の言葉で決断を伝えるのがせめてもの礼儀だと思った。豪商は学生時代から「義理」を大事にしている。
そしてB社の会議室で冒頭の言葉。B社・社長はグダ崩しにきた。私のあみだくじでの決断を翻意させようとしている。私は「いやいや」とか言いながら最初は流していたが、彼は引かない。
そのうち豪商の熱意に、将来豪商になる学生もほだされてしまい「わかりました。私が負けたらここで内定承諾書を破り捨てて、御社の内定承諾書を書きます。その代わりに私が勝ったら、豪商になる時に投資して下さい」と言ってしまった。
社長は乗ってきた。経営者の決断はいつだって早い。我々はサンマ(先に3勝したら勝ち)をすることになった。ベンチャー社長vs豪商候補生。義と義の戦いだった。
就職先の最終決定はジャンケンに委ねられた―
サンマ!私が勝つ。
サンマ!私が勝つ。
サンマ!彼が勝つ。
そして…サンマっ!私が勝った。
社長の横で見守っていた取締役がソファに体をどーんと投げ出して「ジャンケンよえー!」と言ったのを今でも覚えている。彼はなんだか楽しそうだった。当の社長はそれでもまだブチブチ言いながらも「くっそ、でも負けっちゃったからな」みたいなことを言っていた。
そんな紆余曲折を経てA社に入社することになった。以前のエントリーでも書いたけど、その後、A社に入社した私は新規事業部に配属され、豪商になることをゴールに日々学び、吸収し、朝も夜も土曜も働き1年と少しで退職し、予定通り晴れて豪商になった。
多分、B社に入社しても豪商になっていた自信はあるけど、豪商としての礎を作ってくれたA社には感謝している。
ちなみにジャンケンで私が勝ったら投資をすると約束したB社の社長だが、豪商になった時には投資じゃなくて、人と仕事を紹介してくれた。別に投資はいらなかったので構わないが、彼に何のメリットをもたらしていない豪商の卵に一時の縁と義理を通すんだなと勉強させてもらった。
入社する企業よりも自分が何をするかのほうが大事
さて就活シーズンが近づいてきた。なぜ毎年のようにコロコロ変わる就活シーズンをこの豪商が把握しているかというと、毎年就活シーズンになると以前書いた就活ナンパ記事の検索流入が増えるからだ。
「お前ら就活を真面目にやるか、ナンパするかどっちかにしろよ」とツッこみたくはなるけど、それぐらい楽な気持ちで就活に臨んだらしたらいいと思う。
豪商の個人的なアドバイスがあるとしたら、新卒の就活は人生で1回きりのイベントだから楽しんだらいい。やりたくても、もう2度とできない経験だ。1人で生活費を賄って生きていくなら勤め人にならなくても、豪商だろうとアルバイトだろうと死にはしないのが今の日本社会だ。
これは現在、勤め人として働いている変態紳士たちにもよく知ってもらいたい。
それと希望する企業に入ろうが入れまいが、なるようにしかならない。現にこうしてあみだくじとジャンケンで就職先を決めた人間もいる。
入社する企業は特に重要ではなくて、勤め人になって「何をするか」という自分自身の主体的な心の持ちようだ。
入社する企業のことでごちゃごちゃ騒ぐ必要は何もない。勤め人になることは、ゴールじゃない。
勤め人になった後、どういう人生を歩みたいかをよく考えてみるといい。私はいつも「自分にしか歩けない道をいく」と心に決めている。
あと、就活は良い出会いの場だからナンパは積極的にするといい。